この思い、関係を断ち切りたい…金沢の縁切り&縁結び神社「貴船明神」
この夏、どのような出会いがありましたか? もっと強く、深く結ばれたいと思うような素敵な人との出会いもあれば、二度と会いたくない、縁を切りたいと思う悪人との出会いもあったかもしれません。しかし、人との関係は自分の努力だけでは、解決できない部分がどうしてもありますよね。
そこで今回は石川県の金沢にある縁切りと縁結びで有名な神社を紹介します。明治・大正・昭和はネオン街の王座としてにぎわった金沢の香林坊(こうりんぼう)にある神社で、若い男女の出会いと別れを陰に日なたに支えてきた「聖地」でもあります。
「最後は神頼み」というくらい人間関係で切羽詰まっている方、そしてそこからさらに良縁を結びたい方は、ぜひともチェックしてください。
江戸末期から地元の人に親しまれる「縁切りと縁結び」の神社
石川県の県庁所在地である金沢市には、大型百貨店などが密集する中心地、香林坊という場所があります。430年以上戦災にあっていない金沢には江戸時代(藩政時代)の痕跡が残されており、今回紹介する「縁切り寺」の「貴船明神」も、お城のお堀の跡を利用した鞍月用水の川べりにあります。
貴船明神の始まりに関しては、正確な年号の記録が残っておらず、石川県神社史にも名前が掲載されていません。歴史については、地元の郷土史家である森田柿園さんの『金沢古積史』などで、藩政末期から存在していると大まかに記されているだけ。
ただ、江戸のころから、明治、大正、昭和、平成、令和を経て、いまも多くの地元の人に支え続けられている縁切りと縁結びの神社という点については、ほぼ間違いがないと考えられています。縁結びと縁切りで何かしらの切実な思いがある人には、訪問する価値が大いにある場所といえるはずです。
カミソリの刃やワラ人形、ハサミや包丁が境内に投げ込まれるケースも
筆者は話に聞くだけですが、香林坊は当時ネオン街の中心地だったといいます。往時を記憶する新聞記者が書いた1984年の地元紙の記事によれば、
<いつのころからか“縁切りさん”と呼ばれ、浮世のしがらみになく女たちが、夜ひそかに縁切りの願かけをしてきた>(北國新聞の1984年1月7日朝刊より引用)
とされています。記者が勇気を出して神社のほこらの扉を開けると、ヘビの置物を重し代わりにして、女の手で女性の名前を書いたメモ用紙があったといいます。
さらに昔を知る近所の高齢者の談も記事には掲載されていて、貴船明神の境内にはカミソリの刃やワラ人形、ハサミや包丁が投げ込まれる出来事もあったそう。
筆者が先日、令和の時代に改めて訪れてみると、背の低い石の鳥居近くに『縁切榎(えのき)』と書かれた願かけの札が目に留まりました。
先ほどの記者とは違い、裏に何が書かれているの手は出して確かめませんでしたが、昼下がりのまちの騒がしさが急に耳から遠のき、まちの中心で静けさを感じるほどの迫力がありました。
いまでも確実に貴船明神は「縁切りさん」として、役割を果たしているのです。